株式会社スタッフロールでは、2018年の新たな取り組みとして「これからの生き方を考える会」を開催しました。多様なバックグラウンドを持つ方々とのつながりから、これからの時代を生きるひとりひとりの新しい在り方を模索していく試みです。
今回は2018年8月に開かれた第4回のレポート【前編】をお届けします。
第4回テーマ「コミュニティを評価する“ものさし”」
話題提供者は、第1回後半よりレポートを担当しているエスラウンジ松永結実です。私は成人発達障害者の就労支援やプログラム研究に携わり、当事者家族として家族支援・大学生支援にも関わっています。
参加者はスタッフロールのスタッフをはじめ、経営者、ITエンジニア、ファイナンシャルプランナー、臨床心理士、大学教員、障害のある当事者さんなどバラエティに富んだ9名が集まりました。
この研究会で繰り返し現れるのが「いいコミュニティって何だろう?」という問いです。「いいコミュニティ」を語るとき、そこには必ず《誰かの/ものさしによる/評価》が働いていないでしょうか?
今回は研究会前半の振り返りとして「コミュニティを評価する“ものさし”」をテーマに据え、さまざまな立場から語り合いました。
これまで語ってきた「コミュニティ」を整理してみる。第3の場「コモンズ」とは?
ビクター.A.ペストフ 著「福祉社会と市民民主主義ー協同組合と社会的企業の役割」(2000年)より引用
訳:藤田暁男・川口清史・石塚秀雄・北島健一・的場信樹|日本経済評論社
これまでの研究会で語られてきた「いいコミュニティ」の在り方をまとめると、《柔軟に形を変えられる・自由な出入りができる・参加している手応えがある》と、いくつかの条件が浮かび上がってきました。しかし、それは誰の・どんな立場から見て「いいコミュニティ」と言えるのでしょうか。これまでの話し合いを整理するため、ビクター・ペストフの提唱する「ペストフの三角形」を参考にしながら、ディスカッションを深めていくことにしました。
ペストフの提唱は福祉や社会活動の役割を明らかにしたものです。個人/市場/政府それぞれの立場と役割を分類し、そのいずれにも関連する場を「サードセクター」としました。
研究者の中には、この第3の場を「コモンズ(Commons)」と置き換え、場の機能を超えて《共有財・共有知》と提唱する動きがあります。
私たちの考える「いいコミュニティ」は、まさに「コモンズ」に近いのではないか?そんな問いかけからスタートしました。
松永:役割や所属を取り払うと、誰しもが一人の人間で、誰もがこのコモンズに関われるはずです。このコモンズ=共有財・共有知のイメージとして、たとえば里山。明確な所有者というのは曖昧ですが、里山を各々の立場から守ることで、そこに暮らす人や生物が広く恩恵を受けます。提唱者によると、地域特有の歴史の継承、特定の出来事に対する共有体験などもコモンズに含まれるようです。 いまコモンズが弱くなっているから、私たちもコミュニティ議論をせざるを得ないと思ったんです。みなさんの肌感覚ではどうでしょう?
Sさん:この図でいうマーケット(市場)にいる立場としては、経済活動のコミュニティって盛んだけど密ではなく、徐々に弱ってきていると思う。日本はマーケットに関連するコミュニティが強すぎたよね。たとえば会社的な付き合いをプライベートにも持ち込んでしまう。他国だとプライベートがベースになって、会社での関わりが決まってくる。日本は逆で、会社での付き合いがベース。かえってプライベートの方が硬い関わりになってしまうよね。
Hさん:僕は外資系と日本企業両方の経験があります。外資系企業では、肩書き関係なく名前で呼び合っていました。自分は縦割りが苦手なのでそっちの方が合っています。だけど実力主義。何でも個人に帰結する感じです。
Oさん:自己紹介の仕方から違っていますよね。名前を名乗ってから何をしているかではなく、国内での自己紹介は「〇〇に所属している□□です」となる。
だけど「メルカリ」ってコミュニティ(個人)のようでマーケット(市場)のようでもある。UberやAirbnbも。C to Cメインで社会のつながりができつつあるので、人の思考ベースも変化してきている。綺麗な線引きはできないんじゃないかな。
Tさん:ステート(政府)の役割ってどうなんでしょうか?市場や個人の活動をオーガナイズするだけなのかどうか?
Sさん:日本の場合は、この横軸になっているPublic/Privateのラインがもっと下かな。ステート(政府)とマーケット(市場)の関係でいくと、日本ではどうしても国からの流れの経済を増やしたがる。Privateの部分って他国と比べると恐ろしく少ない。それがみんなの感じている窮屈な原因じゃない?このPublic/Privateラインが適正な位置に上がってバランスが取れると、たぶん中心にあるコモンズの円もぐっと膨らんでいくと思います。
Tさん:もっと個々の人生を主体としたつながり方、楽しみ方ってないんでしょうか?
Fさん:これまでの回で出てきた、音楽フェス仲間や野球観戦の飲み友達みたいに、純粋に“好きなこと”で出会うつながりなら、所属ってあんまり関係ないかもしれないね。
“評価”って、本来は何のためのもの?
このセッションが行われた2018年は、「休眠預金」の活用(休眠預金等活用法)に関する議論の最中でした。休眠預金の活用には、社会的インパクト評価(SIB)とその成果指標が深く関係しています。推進者がいる一方、目に見えやすい数字での指標・社会へ与えるインパクトのみに注力する活動や団体を評価し、巨額の投資を行う結果、大小さまざまな規模で多様性を育んできた市民活動や地域文化が分断されてしまうのではないかと懸念の声も上がっています。まさに「お金とコミュニティ」の関係性です。この休眠預金をめぐる議論の中にも「コモンズ」が登場します。
松永:私たちが話し合ってきた「いいコミュニティ」は、日本で議論されている社会的インパクト評価に対して、曖昧で目に見えにくい価値を持っていると思います。だけど、分かりにくさ・目に見えにくさを評価する指標がないまま、社会的インパクト評価の波がどんどんやってきています。気づいた時には「いいコミュニティ」が淘汰されてしまっている、そうならないかと怖くて。
どの団体・プロジェクトに休眠預金を投資するのか?この「評価」が鍵を握っているようです。そもそも評価って何でしょう?評価と聞いた時、みなさんはどんなイメージをお持ちですか。
Hさん:僕はやっぱり人事評価のイメージ。
Mさん:評価って誰かの視点が必ず入る、主観的要素からは逃れられないもの。僕は教員として学生の成績評価をする側にいて、100%完璧な客観視は難しいと感じています。
Fさん:経営者として事業評価でいうと、差別化を図っていって、相手に与えるインパクトが大きくなればなるほど、評価の質って落ちると思うんですよ。一部の人に確実に届くものって、評価が偏っていませんか?奇抜なファッションが大衆受けしないのと同じで。
松永:私は支援職の方に同じ質問を聞いて回っているのですが、答えていただく方々は、無意識に「評価される側」だと思い込んでいて、評価に対してのイメージがネガティブに偏っていると分かってきました。それだけ普段の業務で、評価される状況にさらされてしまっているんでしょうか。
Tさん:でも、評価されることに対して敏感になるのは、「自分が評価してしまっていること」の無自覚さにもつながっていないかな。
Fさん:評価=マイナス評価という思い込みによって、モラルに反していることを叩くのもその流れか。評価される側と思いつつ、実は相手のことも評価をしていることを、自覚しないといけないよね。
Oさん:SNSは典型的。FacebookやInstagram、どれだけ評価をもらえるか。こんな綺麗な海に行ってきた!とか。自分の狙ったところを誰かに評価して欲しいのかも。これって株数によって派閥が決まる株式のマーケットに似ています。お金という評価を握っている人が強い。例えば某大手家具メーカーの例は典型的。でも、父は0→1、娘は1→100の人で、それぞれの違いを互いに評価しあって認め合えたらよかったのにと、胸が痛みます。
Sさん:だから「何のための評価か?」を、まず決めないといけないよね。
ディスカッションは【後編】に続きます!
(text:エスラウンジ 松永結実)
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主催:株式会社スタッフロール
会場:ビューズ@名駅 https://view-s.jp/
愛知県名古屋市西区名駅二丁目25番21号ベルウッド名駅1F
問い合わせ先:052-462-1608
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